銃は愛の結晶

(下ネタ的な意味で)

迫新IRA部、共和性の裏技。

 ロシアネタはwikiでやってるので、アイルランドネタをやります(前置き)

 

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britainfirst.org.ukよりRIRA



 IRAは50年代以降、北アイルランド戦争などで知られるアイルランドの武装共和派であることは既にご存知だろう。今回は2012年以降に活動する「新IRA」の誕生について記述する。

 

 

 IRAは紛争から今に至るまで何をしていたか

IRAの歴史

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 1997年7月、IRA暫定派(以下PIRA)は英国政府との停戦に合意した。50年代から続く紛争が70年代には市街戦の様を成す内戦へと発展し、英国は戦争状態を認めるまでに至った。IRA公式派は72年ごろには活動を停止したが、なお激化する戦闘により数千人の市民が犠牲となり、エスカレーションは極致に達した。結果、「トラブル」と呼ばれた戦争は90年代までに和平派が支持を集め、PIRAは英国政府との和平を結んだ。これに不服を唱えたPIRA補給将軍のマイケル・マッケビットらの派閥は1997年までにPIRAを離脱。真のIRA(以下RIRA)を名乗りバリケード設置や爆弾テロなどの活動を始めた。

 

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オマー爆破事件の直前の写真。この直後に赤い車が爆発し29人と胎児2人が死亡した。

RIRAはオマー爆破事件など悲惨なテロを繰り返し。また、クロアチアではRPG-18などの過去例のない強力な武器を密輸していることが発覚した。*1

彼らは一時停戦していたものの、2000年には「共和国を守るために団結し、独立を果たすために義勇軍を招集する」と宣言し、アイルランド系もいる英国軍の兵舎を爆破した。この後もブリテン島北アイルランドで爆弾テロなどを繰り返したので、多くの逮捕者を出した。過激な行動は次第に鳴りを潜めたが、2006年までの爆弾テロ、手製迫撃砲での砲撃を行う能力は保持していた。

  2007年、北アイルランド警察の非番警官がRIRA構成員に銃撃され重傷を負う事件があった。*2RIRAはこの事件の関与を認めている。*3さらに2008年には警官らがブービートラップの攻撃を受けた*4

このほか銃撃、IEDやパイプ爆弾での爆破が発生。強姦事件も発生たが犯人はRIRAによって両膝を撃たれた*5IRAは伝統として裏切り者等への罰則として膝を撃つ事になっている。

このように、IRAの継承組織は確実に闘争を行っていた。

 

 

一貫性のない闘争

 

 ここで話は変わるが、アイルランドは全世界の先進国同様、麻薬組織の犯罪行為が行われている。麻薬組織の首領であったマーティン・ハイランド、通称ハーロは武器、麻薬の流通に関与していた。詳細は省くが、彼は組織内部で没落し、2006年の冬に何者かに射殺された。この事件の容疑者としてRIRAの構成員が浮かび上がった。RIRAは以前より、コカイン販売組織との抗争にかかわり始めた。

 これに合わせて90年代に存在した「対麻薬自警団」である対麻薬直接行動(以下DAAD)が復活する。2008年に対麻薬共和党行動(以下RAAD)として復活、麻薬組織への周知をねらい全ての麻薬ディーラーに「恩赦」を提供した。これは、以降の麻薬取引には容赦しないという宣言でもあった。

 2009年にはRAADの独占インタビューをデリー・ジャーナルが報じた。RAAD幹部の主張は「薬物の惨禍を止める唯一の手段が、麻薬ディーラーを殺すこと」だった。彼らは過去PIRAに所属していた事を認めたし、シンフェイン党の援助を受けているとス要したが、テロリストではないと言いたいがために一部はIRAに関与していないと見苦しい言い訳をしている。*6

 彼らはバラクラバかぶり、スタンガンや銃で武装した自警団のつもりで抗争を激化させた。2012年には北アイルランド警察の車両を、車輛爆弾で爆破した。闘争は政治的、倫理的なものを揺れ動く一貫性のない無駄なものになりつつあった。

 

 

”正当な”IRAアイルランドの戦士

 

 RAADに加えて他組織について記述する。話を1980年代に戻すと、IRA一般陸軍条約というIRA内部の憲法を改変する手続きが行われていた。ここで発せられた宣言により、IRAは”正当な”IRAであるIRA継承派(以下CIRA)を編成した。CIRAはRIRAに対してはるかに小さい組織ではあったが、自称正当なIRAとして活動を行った。RIRAに後れを取っているとはいえ、ザスタヴァ製M70AB1やM70AB2、プラスチック爆弾チェコVZ-26などの武器密輸が行われた。先述のクロアチアで押収されたRPG-18はCIRAの物ではないかという疑いもある。CIRA自体も分裂の危機をはらみつつ、小規模な闘争を継承していた。

 IRAはこの時点で2つに分かれていたが、これ以外にも小規模なテログループが存在した。彼らは独立系共和派閥、もしくはアイルランドの戦士(以下ÓÉ)と呼ばれ大規模な組織の編成は行われなかった。一つの組織としてまとまっているわけでもなく、単なる犯罪組織とみるのが妥当だろうが、ここでは単一組織とする。

 2012年までにRIRA、CIRA、RAAD、ÓÉの四つの組織がシンフェイン党の平和戦略を無視した共和派武装闘争を行っていた。この中にはINLAなど左派ナショナリストは含まない。

 

テロリストの統合

 

IRAの誕生

  2012年7月、4つの共和派武力組織のうちCIRAを除いた多数がThe Guardian紙上で「一つに統率された統一的構造のアイルランド共和国軍」として統合されたことを発表した。*7 

IRA(以降NIRAと記述する)はこの宣言においてこう述べている。(注;ガバガバ翻訳)

 近年の自由で独立したアイルランドの設立への行動は、アイルランドナショナリスト並びに共和主義者の指導者の分裂によって失敗した。我々の国家での紛争は、不可分な民族自決権が今だ保証されず破壊されている事により、これへの対処には至っていない。しかし、アイルランドの人々は、かえってストーモントの議会がめくら印したまやかしの平和協定に熱中しているのである。

 この宣言からは共和派武装組織の分裂やベルファスト合意、2005年以降のPIRAの武装解除への近視眼的な強い憤りが感じられる。

彼等はこの宣言以降組織としての結びつきを強め、執筆時現在には分裂の兆候すら報じられていない。もしもこの兆候があったとしても、NIRA設立宣言に反する動向は隠されるのが道理であろう。

 

 NIRAの設立後も以前通りにテロリズムは続いている。迫撃砲弾やロケット弾発射筒と弾頭、大量の火器が押収されているし。自動車爆弾や火炎瓶、パイプ爆弾の投擲事件も発生している。その中でも2013年1月の自動車爆弾事件では、犯行声明の報道でいまだにÓÉの名称が使われている。

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2016年12月に押収された爆弾の材料。BBCより。



 また、前例のない興味深い攻撃手法も取られた。2013年3月4日にロンドンデリーで押収された迫撃砲付き車両は、バンの屋根を取り払ったもので、警察に悟られることなく攻撃できるというものだ。

 2013年6月には、警察の捜査で6kgの高性能爆薬であるセムテックスが発見されている。セムテックスはパンアメリカン航空103便爆破事件でも使用された爆薬で、たったの250gで航空機を墜落させたとして悪名高い。*8 こうしてNIRAは高性能爆薬の入手経路を確立した。以前は圧力を利用した車両下爆弾が主流だったが、以後は高性能爆弾を使った新型が用いられるようになった。

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旧型の車輛下爆弾。圧力を高めるための金属板が特徴的で、9V電池を起爆装置に据える。BBC記事より。

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新型爆弾。こちらには金属板が見受けられない。BBC記事より。

 

まとめ

 

 ここまでIRAの関与した事件などについて述べたが、IRAはこれを独立へ向けた正当な闘争と認識している。決して許される行為ではなく、単なるテロリズムを近視眼的かつ稚拙な主張の為に多くの一般人や警察官を殺害している。だが、彼等の分離独立への願いは無くなることはないし、ジャガイモ飢饉をはじめとするイギリスへの恨みが消えるわけでもない。過去の禍根から民族自決の主張は強まるかもしれないし、北アイルランドの国民は英国に留まることを選択するかもしれない。

 いずれにせよIRAの活動は無くならない。彼らは300年余の間英国と戦っている。勝利するまでは紆余曲折の血塗られた道を歩むことになる。